伯父の奥さんのこと

久々にちょっとパーソナルなことを。

不肖ヤマグチの父親は4人きょうだいの長男で、下に次男、三男、末っ子に長女がいます。勿論3人とも結婚してワシと同世代のいとこも少なからずいる訳ですが、次男の家庭は色々問題を抱えていました。

いとこ達もそれぞれ色々ある訳ですが、一番の問題は奥さんでした。

ワシは元々堺の生まれで学生時代の大半は堺で育った訳ですが、ワシが高校1年生の時に祖父が亡くなり、祖母一人きりになった東大阪の実家に、きょうだいの誰かが帰らなければいけないことになりました。
結婚して嫁いだ長女はともかく、長男・次男・三男の間で結構な話し合いがありましたが、結局長男であるワシの両親が最後まで見ることになりました。嫁・姑の煩わしさや実家近辺の「ムラ社会」の窮屈さはありましたが、新しく立て直した実家の新しさや喜びも同時にありました。
さてその時点で次男・三男は祖母の世話をメインで見ないことになった訳です。月一で祖母を泊まらせる気遣いを見せてくれた三男はまだ良かったのですが、次男とその奥さんはそんなことは一切なく、ほぼ無視。
元々次男夫婦の4人のこどもの内、長女(ワシと同い年)は…生まれながらの障害を抱えていて自立は無理な状況。次女、三女、そして長男はそれぞれ独立したようですが、問題を起こし続ける母親を持て余す状況。そして肝心の夫も最早他人事のような扱いでした。
挙げ句その奥さんは、長年の子育てのストレスからなのか、統合失調症を発症しました。そのくせパチンコに没頭するようになり、親戚のみならず近所にも借金を作ったと聞きます。夜中に奇声を発し、市の消防局からはブラックリストに載せられる程救急車を呼び倒したそうです。
ちょうど10年前だったと思うんですが、睡眠薬を大量摂取し自殺未遂を図ったことがありました。その時は事無きを得たんですが、それからも状況が改善することはなく、ズルズルと年月が過ぎていったのでした。

ある日自宅に帰る途中、母親からメールが届きました。母からの発信は珍しいのでビックリしたんですが、その内容を読んで余計にビックリしました。
「おばちゃん、死んだで」
直前まで幻覚や被害妄想に駆られていたようです。「亡くなった祖母からの遺産を隠し持ってるやろ」だの「私を殺しに来る気やろ」だの、ひっきりなしに電話が掛かって来ていたようです。たまらず自宅の電話を着信拒否設定しているぐらいで。
後程聞いた話によると、睡眠薬の大量摂取と共に、アルコールも一緒に飲んでいた模様です。そのまま夜遅く入浴したとのことで、夫も翌朝になって風呂場で意識不明になっているのを気付いたとのことです。

すぐに母に電話を入れました。
「お父さんは通夜や告別式行くって言うてるわ」
「俺、行かんでええんかな? 人手要るんちゃうの?」
「かまへんかまへん。仕事休んでまで行くことちゃう。あんたかて、良い思い出ないやろ?」
「それはそうやけど…大体オカンどうすんの?」
「うーん…まだ迷ってる…」
そう逡巡しつつも、結局通夜も告別式を母は手伝いに行った訳なんですが…

ワシ自身もうつを長年患っている立場上、おばちゃんの八方塞がりで追い込まれていた気持ち、少しはわからないでもないのです。自分の長女の世話に長年苦しんで来たことも大いにあったでしょう。
ただ、だからと言って際限なく他人に迷惑を掛けて良い訳では勿論ありません。挙げ句パチンコに明け暮れたり、借金をあちらこちらに作ったり、親戚を恫喝したりすることが、亡くなったことで全て免責される訳でも当然ありません。
かと言って、おばちゃんだけが悪い訳でもないと思います。
せめて旦那は、もう少し奥さんをコントロール出来なかったものか。悪いことは悪いと咎める、負担を少しでも軽減するよう出来る限り努力する…言葉で言うのは簡単ですが、そういうことを怠った積み重ねが、おばちゃんの暴走、そしてその果ての悲しい結末を生んだんではないかとも思うのです。
とはいえ、夫婦間でないと分からない、他人には言えない、話しても分かりづらいことも多いでしょうし…考えだすと答えなんて安易に出ません。

経緯を伝え聞くに、おばちゃんは「死ぬつもりはなかった」のかも知れません。苦しみから逃げたくて、忘れたくて選んだ道で、何だか分からない内に死んでしまったということもあり得ます。
自分自身も死の影に忍び寄られたことはあって、それで色んな人に迷惑も掛けたので、偉そうに「生きろ」なんて言えません。「生きていたらいいことがあるかも知れない」なんてことも分かりません。そういう正論を飛び越えた所にまで「死への意志」があったということなのでしょう。

かく言うワシだって、人生の目的なんかとうに見失って「生まれたついでに生きている」日々がずっと続いています。いけないと思いつつ、どうしたらいいか全然分かりません。そしておばちゃんに偉そうに言える生き様でもありません。
ただもうちょっと生きてあげて欲しかった。残された夫や子供たちのために。どんなに傍迷惑なマジチキババアでも、彼にとっては一人しかない妻であり、母親であったはずです。どうせ人は放っておいても勝手に死ぬ訳ですから、「生まれたついで」でも「誰かに迷惑を掛け通し」でも、生きることだけが何かの贖罪になりはしなかったのかな、と思います。

人生の悩みなんて、美味しいものとお酒でお腹が膨れれば大半は解決するって言葉もありましたしね。って、ワシはもっとお腹減っこまさないとイカンですな。
しょせんぼくはこんなもの。

チャットモンチーは大人のバンドに…なるのか?

先日FM802の金曜夜の番組「RADIO INFINITY」を仕事場で聴いていて、その番組の冒頭にDJ飯室大吾さんが言った言葉に我が耳を疑いました。

「チャットモンチー、ドラムの高橋久美子さん、脱退です」

クミコンが今年9月一杯で脱退することが7/29に発表されたのです。デビューミニアルバムから聴き続けて来て、ライブも何度か行ったファンとしてはもう衝撃としか言葉がありませんでした。

ロッキング・オンJAPANで散々言われていますが、チャットモンチーというのは奇跡的な3人が奇跡的な出会いをして奇跡的な関係性で成り立っている、本当に夢のようなバンドでした。
ギター&ヴォーカルであり、メロディーメイカーであり、掛け値なしのバンドの顔であるにも関わらず、MCがまともにこなせない超人見知りの橋本絵莉子。
素晴らしいベーシストであり、欠かせないアクセントであるコーラスをこなし、ソングライティングとスポークスウーマンをこなす福岡晃子。
そして、ともすれば先走りがちになる二人をしっかりとコントロールする豪快なドラミングとコーラス、そしてチャットモンチーには必須なソングライターでもあった高橋久美子。
こんな3人が奇跡的なバランスで成り立っていたバンドなのです。何かとえっちゃんの歌声ばかりが目立ちますが、その歌詞の殆どはクミコンとあっこちゃんが書いたもの。特に、妙齢の女性ならではの歌詞が多いあっこちゃんに対して、クミコンの書く歌詞は本当に幅広く多種多様。チャットモンチーの曲の世界を広げたのは、間違いなくクミコンでありました。

そんな彼女が抜けるということは、単にドラマーが抜けることもさることながら、それ以上の意味をチャットモンチーというバンドにもたらすのではないかと思うのです。
リズムの関係性を作り上げる基礎でもあるベースとドラムのアンサンブルを組み立て直さなければならないのは勿論、メインソングライターと言っても過言ではないクミコンが抜けるということは、チャットモンチーの曲の方向性も少なからず変えてしまうんじゃないでしょうか。「バンドの顔であるえっちゃんがいるんだからそんな変わらないっしょ」と決めつけてしまうのはちょっと甘いと思います。

部外者が好き勝手言うのも申し訳ないのは重々承知なのですが、ただこれもバンドが次のステージに進むための好機になるんじゃないかと思います。
ドラムが変わってから更に飛躍するバンド、実は結構少なくないんですよね。
例えば日本で言えばL'Arc-en-Ciel。問題を起こしたとはいえ前のドラムのsakuraを欠いてから、最初はサポートとして入ったyukihiroでしたが、あっという間に新たなラルクの音を形作ることに貢献し、その後のラルクの大ブレイクに繋がったのはご存知の通りです。
ちょっと若手ならandymoriもそうですよね。彼らも3人組ですが、ドラムの後藤大樹が鬼気迫るテンションでライブをこなした後に脱退し、バンドの今後が心配されましたが、岡山健二が新ドラマーとして加入し、サヴァイヴ出来たのはこれまたご存知の通りです。

チャットモンチーは、11月からのツアーで新体制になるそうです。多分新しいドラマーを入れるのでしょう。考えてみれば同じメンバーで何年も続くバンドなんてそうそうありません。学校などで知りあって結成したメンバーの間でも、プロになって大人になるとそれぞれのエゴであったり、考え方の違いがどうしても出て来てしまうもの。そうやって人は移り変わっていって、バンドは大人になって行くんでしょうね。
さて新しいドラマーを入れてアンサンブルを作り直せるのか、クミコンのいない後どんな音に、そしてどんな曲を書いて行くのか、勿論注目して行きたいと思います。
そしてクミコン。加入して7年4ヶ月お疲れ様でした。ドラマーとしては勿論だけど、貴女は類まれなるソングライターでもあるのですから、言葉を紡ぎ続けて欲しいものです。そして歴女もバンバン続けて下さい。

しかし後任のドラマー、まさか男じゃないだろね。GO!GO!7188のターキーさんみたいに。ま、あれはあれで素晴らしいドラマーだけど、出来れば女性がいいなぁ。そんで出来れば地方出身者がいい。あの徳島弁丸出しのMCに標準語で絡むのはどうもね…ってどうでもいいって?
しょせんぼくはこんなもの。

JUGEMテーマ:チャットモンチー

Do You Know Steve Winwood?

つい先日の朝の新聞の広告欄を見て目を丸くしました。
説明不要の名ギタリストでありシンガーであるエリック・クラプトンが秋に来日公演を行うことが発表されました。それも単独ではなく、盟友であるスティーブ・ウィンウッドを連れてのジョイント公演。
しかし私はその「盟友」の方に目を見張りました。スティーブ・ウィンウッドが日本に来る! 飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになりましたよ。
世界的には勿論のことですけど、日本でのクラプトンの知名度は特に抜群です。ミスター・スローハンドとも呼ばれるギターの名手中の名手であり、ギターのみならずシンガーとしても超一級。「Layla」「I shot the sheriff」「Cocaine」、もっと最近なら「Tears in heaven」「Change the world」などなどヒット曲も多数。今回のツアーで通算19度目の来日公演になり、プライベートでも何度も日本を訪れている親日家としても知られていますよね。
しかしヤマグチはスティーブの来日公演を22年間待ち焦がれていたのです。以前のライブには行き損ねてしまい、フジロックにも参加できず、もう生きている内に生では観られないのか、と半分諦めていた所での思わぬ報せに、胸踊らずにはいられませんでした。
ご存じない方のために、ステーィブ・ウィンウッドとはどういう方なのか、そしてヤマグチがいかにしてスティーブに魅せられて行ったのかを書いていきたいと思います。

(略歴はWikipediaより一部抜粋)

スティーヴン・ローレンス「スティーブ」・ウィンウッド(Stephen Laurence "Steve" Winwood)は、1948年5月12日にイギリス・バーミンガム郊外のグレート・バーで生まれました。
音楽の才能は幼少時代から卓越したものがあり、10代前半のときには兄マフ・ウィンウッドが結成したジャズ・バンドの看板的存在として君臨していたそうです。
また、マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカー、T-ボーン・ウォーカー、ハウリン・ウルフ、B・B・キング、サニー・ボーイ・ウィリアムスンII、エディ・ボイド、オーティス・スパン、チャック・ベリー、ボ・ディドリーといった、大御所ミュージシャン達のバックでハモンドオルガンやギターを演奏していました。
15歳の頃、兄のマフと共にSpencer Davis Groupに参加。1964年に、ジョン・リー・フッカーのカバーであるシングル『ディンプルズ』でデビューしました。シングル『Keep on runnin'』が英国チャートで1位となり、この曲の成功によってグループはブレイクし、最年少メンバーでもあったスティーブは一躍スターとなりました。その後『Somebody help me』『Gimme some lovin'』『I'm a man』を録音した後、1967年にグループを脱退。クリス・ウッド、ジム・キャパルディ、デイブ・メイソンらとトラフィックを結成します。
トラフィックで『Mr. Fantasy』『Traffic』など3枚のアルバムをリリースした後1969年には一時的にトラフィックとしての活動を休止し、エリック・クラプトンらとブラインド・フェイスを結成。しかしながらバンドはアルバム『Blind Faith』のリリースとアメリカ・ツアー後にあえなく解散。その後、一度はソロ・アルバム制作を計画し『Mad Shadows』というタイトルでのレコーディングを進めましたが、結局トラフィックとしての活動を再開し、『Mad Shadows』は『ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ』として、再開後のトラフィック初のアルバムとなります。グループは1974年に『ホエン・ジ・イーグル・フライズ』のリリースを最後に解散。また、1973年には、ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラによるロックオペラアルバム『トミー』にも参加します。
その後、日本人パーカッショニストのツトム・ヤマシタによるGOをはじめとするいくつかのプロジェクトへの参加を経て、1977年には自らの名を表題にした『Steve Winwood』でソロ・アーティストとしてデビュー。パンクブームの真っ只中にあってこのアルバムは今ひとつ大きな成功には至らなかったものの、その後1980年にシングル『While you see a chance』がビルボードで最高7位まで上昇するヒットとなり、この曲の成功に煽られる形で同曲が収録されたアルバム『Arc of the diver』も全米5位、全世界でのセールスのべ700万枚という大成功を収めました。しかし次作『Talking back to the night』はセールス的に今一歩でした。
そして1986年。名作『Back in the high life』を発表。ポール・サイモンやジェイムズ・テイラー、ジョージ・ハリスンなどのアルバムを手がけたことで知られるラス・タイトルマンをプロデューサーに、曲作りのパートナーにセリーヌ・ディオンやエリック・クラプトンなどへの作品提供で知られる作詞家のウィル・ジェニングスを迎えて制作されたこのアルバムは、全米3位まで上昇するヒットとなっただけでなく、グラミー賞を3部門も受賞。また、このアルバムからシングル・カットされた『Higher Love』は彼にとって初の全米No.1ヒットとなりました。続いて1988年にリリースされた『Roll with it』では、シングル・カットされた同名曲が再び全米1位を獲得、アルバムも初の全米1位を記録しました。
1990年代以降は3枚のオリジナル・アルバムと、ジム・キャパルディとの共作によるトラフィックとしての久々のアルバム『Far from home』(1994年)を発表。自ら立ち上げたレーベル、ウィンクラフトから『About time』を発表(2003年)。翌年にはフジロック・フェスティバルへの参加という形で3度目の来日公演が実現。また同年の3月には、1960年代の活動の功績が認められ、トラフィックのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たしています。これに伴ってトラフィックとしての活動再開も予定されていたといわれていますが、2005年1月にキャパルディが胃癌のために亡くなったことからこの話は立ち消えになりました。
2007年7月、クロスロード・ギター・フェスティバルでエリック・クラプトンと共演しブラインド・フェイス時代の3曲などを演奏、さらに2008年2月には、マディソン・スクエア・ガーデンでエリック・クラプトンと3日間のコンサートを実現させた。そして同年4月に5年ぶりの新作アルバム『Nine lives』をコロンビア・レコードよりリリースしました。目下これが彼の最新作になっています。

さてこんなスティーブとヤマグチが初めて出会ったのは、やはり1986年の「Back in the high life」からでした。
最初はちょっと長髪の優男? というイメージでしたが、上掲のアルバムを聴く内に、そのバラエティに富んだ楽曲と、見事なまでのアルバムの完成度に唸り、もう今に到るまで何度聴き込んだか分かりません。
次作の「Roll with it」はうって変わって、本来の彼の資質であるリズム&ブルースに回帰した、しかし明るく力強いサウンドでした。この時に来日公演を果たしたのですが、私は大学の部活やらバイトやらの都合が合わなくて行けなかったんですよね。
その後も何度かチャンスは有ったんですが、生のライブを見るのは叶わず、ヨーロッパツアーや北米ツアーに参戦した友人のレポートを指をくわえて眺めるばかりでした。

スティーブの魅力を一言で言うと、まずはその声です。Spencer Davis Groupの時は若さに溢れたエモーショナルなシャウトが、トラフィックやソロの初期の時はちょっと落ち着いたソウルフルな声が、「Back in the high life」以降は大人の色気すら感じさせる渋みも含まれて来ました。
加えて十八番であるハモンドオルガン。そして時にはギターも披露する多彩さ。アルバムによっては全てのパートを自分で演奏して録音することも厭いません。
所謂「ブルー・アイド・ソウル」の先駆者の一人でもありますが、もうここまで来ると「スティーブ・ウィンウッドのリズム&ブルース」がしっかり出来ていると思います。
本当日本での知名度の低さがどうにもこうにも納得出来ないんですが、今回の久々の来日を機に、少しでも日本でも彼が再評価されればいいなぁと願っています。
フジロックでの日本のオーディエンスの態度にご立腹されて来日を拒んでいたという噂も聞きますから、スティーブを連れて来てくれたエリック・クラプトンには感謝しなきゃいけないんですけどね。ただ私にとってはクラプトンはあくまで添え物。生のスティーブ・ウィンウッドを存分に楽しんで参るつもりです。

それでもクラプトンがいるんですから、やっぱり「Presence of the Lord」「Can't find my way home」のデュエットは聴きたいんですけどね。って、結局楽しみなんじゃねえかよ。
しょせんぼくはこんなもの。



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