ヤマグチ流「Twitter社会論」

さて最近、拙ブログの右のメニュー欄に、メールフォームに変わって妙なウィンドウがついているのにお気づきになっておられますか?
これは、ワシのtwitter(ツイッター)のタイムライン(以下TL)の最新分を表示させています。そして下の「Join the conversation」をクリックすればワシのtwitterページに飛べて、現時点の全てのつぶやきが読めるのです。twitterへのお誘いという意味もあるのですけど。
そう、こうやってTLをアピっていることからもお分かりの通り、ワシはtwitterに相当ハマっております。平日も休日もクライアントアプリや愛用のHT-03Aを使って、ところ構わず思ったことを思った通りにつぶやいております。
今までこの話題に触れることは意識的に避けて来たのですが、ここでがっつり始めて半年近く経過したユーザーとして、まだ触れたことのない方向けに「twitterとは何ぞや?」というのを自分なりに語ってみようと思います。メディアジャーナリストで、日本でのtwitterの第一人者とも言われている津田大介さんの著書名をお借りしまして、「ヤマグチ流Twitter社会論」を述べてみます。

twitterは時に「ミニブログ」とも称される通り、それ自体は140文字の中でタイトルもなしで、登録したユーザーが思ったことや考えたこと、感じたことを好き勝手につぶやく、ただそれだけのサービスです。それが何故昨今こんなに話題になり色んな媒体で取り上げられているのか、ワシ的に考察してみます。
まず一番に大きいのは「つぶやく敷居が非常に低いこと」そして「検索された投稿内容が読まれやすいこと」が挙げられます。従来のブログやSNSの日記だと題名をつけて長々と文章を書いてアップロード…となりますが、検索されて見る人はまずタイトルだけを見て自分の興味を喚起させるものを選別して読んで行くことになります。それ故にタイトルと内容に違いがあった場合、もしかしたら読み手に有用だったかも知れない情報を逃してしまうことも起こらないとは限らないでしょう。翻ってtwitterはタイトルもなしにいきなり本題ですから、書き手はタイトルをひねり出さなくても良い訳です。そして読み手にとっては本文が検索にそのまま引っかかりますから、読み手に有用な内容にヒットする確率は格段に上がることになります。
次に大きいのは「発言の伝播力が非常に高いこと」が挙げられるでしょう。twitterにはTL上でフォローしているフォロワーの発言をそのまま他のフォロワーに教えるRetweet(以下RT)という機能があります。元々はtwitter自体が備えていた機能ではなくRTの作法も利用者の同意の上に成り立つルールではあるのですが、このRTによってフォロワーに広めて行くというやり方は、しばしば劇的に無限のようなネットの広がりを体現することがあります。
そしてRTの仕組みもそうなのですが、twitterの様々な作法が管理者が決めたことではなく、あくまでユーザーによって決められて来たものであること、いわば「ユーザールールによって成り立っていること」も大きいでしょう。twitter社もその成り立ちは良く理解していて、機能追加は最低限のものだけに抑えています。そしてサービスの内部アクセスのAPI(Application Programming Interface : 開発者が他者のサービスやアプリケーションを外部から利用するための手法)をオープンにしたことで、たくさんのtwitter利用アプリが増え、様々なサービスをtwitterにリンクさせることに成功したのです。

かく言うヤマグチのtwitter活用法というと…クライアントソフトを使っているせいもあるのか、ほとんどインスタントメッセンジャー(IM)のように使っていますね。しかしIMのように一対一ではなく、自分が知らない人の発言までTLに入って来たりします。それでネットのニュース速報よりも早く情報を知ることが出来ることがしばしばあったり、その知らなかった人とやり取りが始まったり、どんどん自分の世界が広がって行く感覚がします。
この感覚って、恐らくインターネットに最初に接続した時に感じた感覚に似ているのです。幻想かも知れませんが、色んな人とどんどんつながっていくような…mixiを始めとしたコミュニティサービスはあくまでも友人間の「閉じた」世界の中でしかなく、そのコミュニティに長らく慣れてしまっていたワシにとっては、既視感のある感覚であるとともに、とても気持ち良い感覚でもありました。
この3月いっぱいでmixiからは一旦退会するのですが、これからそういう人が徐々に増えて行くのではないでしょうか? それはあたかも、我々がWorld Wide Webを最初に体験した時の感覚を再び自分たちの手に取り戻す作業であるのかも知れません。

それでもtwitterにもイヤな人はいますけどね。iPhoneをやたら褒めちぎって正体不明の上流意識を持つ人とか。そういう人がいるからtwitterを敬遠する向きが絶えないんだけどなぁ…と、また要らんことを言いましたねサーセン。
しょせんぼくはこんなもの。

とあるMacユーザーから見る今のApple

思えばワシがMacintoshを初めて知ったのは1984年、中学2年生の頃でした。

その頃のパソコン(PC)といったらまだROM-BASICが全盛で「電源オン→BASICのプロンプト表示」というのが大半でした。勿論画面は真っ黒で、そこに文字だけが無機質に浮かび上がっているというもの。それがPCの常識だと思っていました。
そこに海の向こう、アメリカからマッキントッシュというPCが来るという話。ん? 本体とディスプレイが一体になってて可愛らしいな。うわ、何だ画面に何個も窓みたいなのが開いてるぞ? 「マウス」というもので「ポインタ」を動かすのか。おお、動く動く。はー、なるほど、複数のファイルを同時に開いておける訳か…現在のPCにしてみれば当たり前のことばかりですが、その頃は全くの異世界に思えて、少なからず衝撃を受けたものです。そしてお値段も、その頃一般に売られていたPCに比べて更に高かったのも受けて、こういうPCには一生触れる機会はないんだろうな…と思っていたものです。一種の憧れの存在だったんですね。

しかしそれから数年が経ち、Macintosh Classicが119,800円で発売されると聞いて、急に身近な存在に感じられたものです。その頃はワシは大学生になっていてバンドに熱中していてPCのことなど忘れていたのですが、就職活動においてコンピューター関係を志望したこともあり、自分用のPCをそろそろ買い直しておく必要があるかな、と思い始めたのでした。
そこにマイクロソフトがWindows 3.1というOSを発売、今後多くのPCに搭載していくという話を聞き、ワシは随分迷いました。急速にWindowsPCは増えていくからやっぱその流れに乗っておこうかな、それとも長年の憧れだったMacを買おうかな…相当逡巡しました。
結局Macに決めたきっかけは「今Macを買っておけば、将来Macがなくなった時に『俺はMac使ったことあるねんぞ』と友達に自慢できるかも」と考えたからでした。勿論Appleの思想や脈々と受け継がれた歴史に惚れたという側面もあったのですが、決め手になったのはそういうネタ根性でした。

そしてディスプレイ+CD-ROMドライブ一体型のLC575を購入したのですが…念願のMacユーザーになった喜びはありましたが、それと共にMacの動作の不安定さをも思い知ることになるのでした。クラリスワークスが開いてる途中に止まってリセット、Netscapeでネットサーフィンしていたらフリーズしてリセット、画像やHTMLをいじっていたらフリーズしてリセット…サッドマックを見た時は血の気が引いたものです。数ヶ月に一度はリストアしてOSからアプリケーションから全て再インストールするのが恒例になっていました。
仕事用PCに入っていたWindows 3.1や95もフリーズは多々あったのですが、それでも急激に色んなPCにバンドルされるようになり、あっという間に業界の標準OSになりました。

そしてインターネットを始めるようになって「Mac使ってるねん」と話すと、大抵は「なんでわざわざ?」「周りに使ってる人いないでしょ?」「奇特な人ですねー」とびっくりされてばかりでした。使えるソフトの数は段違いに少ない。ネットウェアもWeb上のサービスも、対応しているのはWindowsだけというのが多かったです。
そしてOSのバージョンが上がる度にマシンの買い替えを余儀なくされました。新しいOSになると古いバージョンで動いていた周辺機器やアプリケーションは使えなくなりました。Windowsにおいても勿論それはあったのですが、Macの世界ほどバッサリと斬り捨てられなかったように思えます。(OS 9からOS Xへの移行の時は凄かったですよね…)その度に「えーかげんWindowsにしーな」と友達に言われたものです。
それでも、一種の意地もあったんでしょうか、PowerMac、iMacとワシは頑なにMacを使い続けました。

そんな長年Windowsの天下だったPCを取り巻くITの世界にも変化が訪れました。iPodのヒットです。小型のHDDを搭載し、数多くの音楽データを保存して持ち運べるという、それまでの携帯音楽プレイヤーの常識を覆す商品でした。最初はMacのみの対応でしたが(それまでのAppleからは考えられなかったことですが)なんとWindowsにも対応。瞬く間に市場を席巻し、それまで不動のブランドだったソニーのウォークマンを追い落として、次世代音楽プレイヤーの代名詞となったのでした。
iPodの大ヒットは、世間の注目を再びAppleに向かせるのに十分なものでした。ソニーやマイクロソフト、そして多数のメーカーが同様の商品を出して対抗しましたが、iPodは多種多様なシリーズ展開で消費者を飽きさせることなく、牙城をより堅固なものにしていったのでした。

その流れで現れたのがiPod+携帯電話のコンセプトを具現化したiPhoneでした。つまりAppleが携帯電話市場に参入したのです。
それまでの携帯電話の通信といえばショートメッセージサービス(SMS)によるメールのやり取りが世界の大半でした。そして日本においては、iモード/EZwebに端を発した「ケータイWeb」によるサービスが独特な進化を遂げ、そのビジネスモデルは一定の評価を受けたものの、いざ海外に進出しても通信速度との兼ね合いもあってなかなか普及には至らず、いつしかそのような日本独特の進化した携帯電話を「ガラパゴスケータイ」と揶揄する向きも目立つようになりました。
そこに現れたiPhone。「ケータイWeb」をすっ飛ばしてPC用のWebを直接見られるブラウザ、Appleお得意の流麗なアイコンやスムーズな操作体系、そして急速に増殖していくアプリの数々…世間が飛びつくのに時間はかかりませんでした。
かくしてiPhoneは急速に普及していき、発売当初は懐疑的な見方もあった日本においても(ワシもそのクチでした)、ソフトバンクによる販売促進策も功を奏し、大ヒットするに至ったのでした。

さて15年来のMacユーザーであるワシは、iPhoneを購入していません。そしてこれから先も購入の予定はありません。
理由の一つとしては、日本での事業者が主要キャリアの中で一番通信品質の悪いソフトバンクというのもあるのですが、あれだけ総務省や事業者を巻き込んで批判された、キャリアによる「垂直統合モデル」…結局iPhoneにおいてAppleによる同じ構造を踏襲しているじゃないか、という思いが拭え去れないことが挙げられます。それに対して「垂直統合モデル解体」を唱えていた人たちが何も言わず、あまつさえiPhoneを諸手を上げて賛美している人までいるのにも納得がいかないのです。
そしてもう一つ。長年Appleのプロダクトを使って来た人間として、Apple製品が良く不安定になったりフリーズすることを知っていますから(今使っているiPod classicですらまれに動作が遅くなったりフリーズします)、日常頻繁に使う製品である携帯電話において、安心して使えない商品は御免こうむりたいということもあります。いつでも電話やメールが出来て当たり前、それが携帯電話じゃないですか。それがフリーズしたから使えません、では話にならないでしょう。

とはいえ今後、iPhoneが携帯電話としての必須要件を満たすことはあり得る話でしょう。つまりネットとかアプリ以前に「携帯電話として」いつでも安定して使える、ということです。現にMac OSにおいてOS Xにスイッチしてからは急速に動作が安定して行きましたので、その点でブラッシュアップはして来るはずです。(でないと困ります)
ただワシとしては、今twitterなどで散見する、Appleのプロダクトを諸手を挙げて賛美する向きにはどうしても同調できないのです。AppleはMac、iPodを始めとした数々の革新的なプロダクトを世に産み落として来た半面、失敗作として消えていった商品も少なからず出している会社です。その側面を、賛美する方々は果たして知っているのでしょうか。知っていて知らない振りをしているのでしょうか。それとも「市場がAppleの思想を理解できなかっただけだ」と考えているのでしょうか。私見ですが「市場に受け入れられてこそ『商う品』になる」と思うのですが。

とはいえ、今のiPhoneが内蔵メモリ120GB以上+ドコモから発売…となったらかなり惹かれますけどね。って結局Apple好きなんじゃねえかよ。
しょせんぼくはこんなもの。

阪神大震災のこと

早いものです。1995年1月17日からもう15年経ったのですね。
私は幸いながらも被災はしていないですが、あの日のことを書いてみたいと思います。

その日は、成人の日があっての3連休明けの火曜日でした。
午前5時45分。いつもだと6時半ぐらいまでは寝ているのですが、不意にベッドで目が覚めたのです。自分でも驚くぐらいぱっちりと。
何なんやろ、と思っていた1分後、物凄い揺れが来ました。今まで震度1程度の微弱な地震しか体験したことのなかった自分は唖然とし、うわうわうわ、と声にならない声を出して固まっている他ありませんでした。そうしている間にも揺れは続き、本棚から本は落ち、積み上げていたCDは崩れて行きました。
しばらくしてから揺れはおさまり、おそるおそる部屋を出て、別室にいる家族に声を掛けたところ、みんな無事の様子。ひとまず安堵して「テレビつけよう」ということになり、1階に下りて行きました。 NHK総合にかけた瞬間、画面に広がったのは近畿地方を中心とした震度の様子です。神戸近辺に「7」の数字を見つけて思わず絶句。
余震に警戒しつつ日が昇るのを待っていると、徐々に甚大な被害の全貌が明らかになって来ました。 阪神高速は橋脚が折れて倒れており、三宮近辺のビルは崩れ、そごう神戸店の建物には大きなヒビが入っていました。阪急伊丹駅は跡形もなく潰れていました。長田区上空では次々に煙が立ち上っており、火事が発生していることが分かりました。これはなんだ、まるで戦時中の映像を見ているようだ…と感じたものです。
会社に電話をして状況を知ろうとしましたが、全く通じません。その頃はまだ携帯電話が一般に普及する直前でしたから、上司や先輩に連絡を取ることも出来ませんでした。仕方ないので家で情報収集することにしました。
それからでも次々に飛び込んで来る被害情報。テレビは必死に「自動車の使用はお控え下さい」と叫びますが、国道一号線は長い渋滞で、消防車がなかなか進みません。長田はどんどん煙が立って行きます。

結局会社には全く連絡が取れないまま、次の日に出勤すると、社内の壁にもヒビが入っていました。そして資料を保管しているキャビネットがぐちゃぐちゃになって倒れていました。 仕方なく、出社して来た社員全員でキャビネットを起こして、散らばった資料を元に戻して、それだけで一日が終わってしまいました。
聞くと先輩のおばあさまが亡くなられたとのこと。その他神戸方面に住んでいる人は大阪の親戚の家や大阪のホテルに泊まって出勤しているとか。それを聞いて帰りに神戸に住んでいる友人宅に電話してみたところ、なんとすぐに電話が通じて話すことが出来ました。その友人の職場は本町だったのですが、やはり出勤するのになかなか苦労しているとのこと。

それから15年。 本当に幸いながら震災で家族や友人を失うことはなかった私ですが、それでも関西人としては1月17日になるとどうしても震災のことをもう一度考えさせられてしまいます。
つい先頃もハイチで甚大な大震災が発生し、数万人とも言われる死者が出たとのこと。地震は他人事ではありません。防災意識を高めることが必要でしょう。

ひとまず今宵は「満月の夕」をBGMに、哀悼の意を表そうと思います。
しょせんぼくはこんなもの。

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